二宮先生語録78
学問と実践がそろうことで、心がけや行いを正しく、家を整えることができる。
だから、昔の先生や生徒は実践しながら教え、学んだら実践する。
たとえば、朝夕にこうやって水を汲むのがよいと教えられれば、それを実践した。
だから水桶はいつも水がいっぱい入っていた。
またこうやって、掃除をするのがよいと教えられれば、それを学んで掃除した。
だからにはにはゴミがなかった。
また、明徳を明らかにしなさいと教えれれば、それを学んで明徳を明らかにした。
だから心がおさまり、家が治まった。
しかし今はそうではない。
教えを受けたらそれを憶え、またそれをすぐに教える。
実践せずにただ水を汲むのがよいと言うだけだ。
水桶がいっぱいになることはない。
あるいは実践せずに、ただ掃除をするのがよいというだけだ。
庭にゴミがなくなることはない。
あるいは、ただ明徳を明らかにするのがよいというだけだ。
心がおさまり、家が治まることはない。
このようなことでは聖人の教えは何の役にも立たなくなる。
嘆かわしいことだ。
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