二宮先生語録79
私は小さい時から実行をしてきた。
それは毎日しなければならないことが多かったからだ。
水くみ、庭掃除、点灯、戸の開け閉めなどをしなければならなかった。
その他にもまだまだたくさんあった。
孔子は「行ってまだ余力があれば学問をせよ」といった。
私は学問が好きだったが、小さい頃から孤児となり、親類の家に寄宿し、毎日働き、余力がなかった。
それでも昼食に他の人が湯を沸かしてお茶を入れるかわりに、私は冷や飯と冷水で飯を食べその間に書を読んだ。
あるいは、柴刈りの途中で書を読み、耕作の暇なときに書を読み、皆が寝静またところで書を読んだ。
こうして四書だけは一通り読んだ。
そして分かったことは、一字一句でもこれを実行して、未だ実行しつくせていない。
今の儒学者は何千、何万と書を読んでいるが、どうやってこれを実行するのだろうか。
行わなければ読んでいないのと同じだ。まこと実行がすたれてしまったものだ。
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