2012/11/12
二宮先生語録63 現代語訳
63.善悪は必ず応報があるので、したことが返ってくる。
祖先が行った善は子孫が幸福を受ける。
これは春にまいた種が秋に収穫できるようになることと同じである。
その善行が大きければその報いも長く、その善行が小さければその報いは短い。
これは漬物の塩が多いときは、数ヵ月保存でき、塩が少ないときは数十日しか保存できないのと同じである。
祖先が善行をしなければ、子孫がわざわいにあうのもまた同様だ。
幸福や不幸は自分ではどうすることもできないものだ。
仏教ではこれを因果という。因果を知ろうとすれば、畑を見ればよい。
野菜がよく育ち、美しい花や実がなるのはどうしてだろうか。これは野菜に肥やしをあげているものがいるからだ。
祖先が作った家に住み、祖先が築いた財産を受け継ぎ、祖先が残した徳の恩恵に預かって安楽に暮らしているのに、それに報いようともしない。それどころか、自分の才能が祖先よりも勝っているからだと思うものさえある。
これは大いに間違っている。
春に種まきをしなかったら、秋に収穫があるだろうか。
祖先が善行をしなかたら、子孫は幸福を受けることができるだろうか。
自分が今幸福を受けることが出来ている理由を考えなければいけない。
自分の身を修め、倹約を守り、施しをして善行を積めば、徳を子孫に残すことができる。
易経では、「善行を積んだ家には、必ず幸福が訪れ。善行を積まなかった家は、必ずわざわいが訪れる」とある。
善と悪はこのように返ってくるものである。戒めなければならない。
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