国に道があれば、賢者はつくべき位につき、才能のあるものはつくべき職につく。
今の時代は、国家は安泰で、道が行われている。
それなのに官職を得ることが出来ないときには、「明君がいない」と文句をいう。
これは大いに間違っている。
山芋が藪に生えていても、人はこれを知って掘り起こす。
鰻・どじょうが泥の中にいても、人はこれを知って捕まえる。
山芋や・ウナギ・ドジョウが藪や泥の中にあっても、人間はこれをとって食べるのはなぜだろうか。
人間を養うという徳が有るからだ。
君主が人を取り立てたり、退けたりするのを果物を買うことに例えよう。
果物を買うときには実が熟し、傷がないものを選ぶ。
そしてこれを食べて、もし熟していなかったら、必ず吐きだす。
わずか数銭の果物でもこのようにする。
ましてや貴重な人においてはなおさらだ。
ということであれば、取り立てられたり退けられたりする原因は、君主にあるのではなく、自分にあるのだ。
人は君主の良さ悪さを気にすることなく、自分の愚かさを反省するべきだ。。
もし真面目に身を修め、善行をし続けていれば、取り立てられたくないと思っていても、そうはいかないものである。
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