2012/07/03

幕末の陽明学者 佐藤一斎の名言

佐藤一斎名言BOT
幕末の教育者です。弟子は3000人ともいわれ、山田方谷、佐久間象山、渡辺崋山、横井小楠などを育てました。
  • 全ての事を成すには、必ず天のためにするという気持ちを持つべきである。人に誇示するという気持ちがあってはいけない。 
  • 「なにくそ」と奮い立つ心を持つことが、学問を本物にさせるのだ。 
  • 学問をするには志を立てることが必要である。しかし志を強いてはならない。ただ本心の赴くところに従うのみである。
  • 天は何のために自分をこの世に産み、自分に何をさせようとしているのかを考えなくてはならない。人は天から生まれたので、天から与えられた役目が必ずある。
  • 心が雑念でかき乱されるのは、外の出来事が心を乱すからである。常に心を刀のように研ぎ澄まし外の出来事を心の中に取り込まなければ、心は澄んで晴れ晴れとした気持ちになる。
  • 名声を求める心は良くないが、名声を無理に避けるのもまた良くないことだ。
  • 真に大志を抱くものは、小さなことでも一生懸命に努めるものだ。
  • 自分に厳しい人は、他人にも厳しい。他人に優しい人は、自分に甘い。厳しいも甘いも、一方に偏っているのは良くない。立派な人は自分に厳しく、人に優しい。
  • 志があるものはよく切れる刀のようである。どんな魔物も逃げてしまう。志のない人は切れない刀のようで、子供ですら馬鹿にする。 
  • しっかりと志が立っているならば、日常の平凡な事の中にも学べるものがたくさんある。志が立っていなければ、たとえ一日中読書をしたとしても、それは暇つぶしである。だからこそ志を立てるのはとても大事なのだ。
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  • 人に対して寛容であれば、人を責めても受け入れられる。人に対して寛容でないものは、人を責める事はできない。責めても受け入れられることはない。 
  • 山に登ったり、川をわたったり、長い旅をしたり、時には野宿したり、時には飢えたり、時には寒さに凍えたりということは生きた学問である。これに比べて、綺麗な机に座って本を読むなどは、力があまりつかないことだ。 
  • 苦労や屈辱や批判されることや思い通りにならないことは、全て天が人を成長させるために与えるものである。人間を磨くために役に立つものばかりである。このようなことに出会ったならば、どう対処しようかと考えるのが良い。むやみに避けようとしてはいけない。 
  • 地位や名誉などの大きな恩恵を辞退するのは易しいが、小さな利益に動かされないようにするのは難しい。 
  • 自分を治めるのと、人を治めるのとは全く同じ事である。また、自分を騙すのと、人を騙すのとも全く同じ事である。 
  • すでに死んでしまったものは、今生きているものの役に立ち、すでに過ぎた事は、将来起こることを写す鏡となる。 
  • 他人を頼らずに、自分が持っているものを頼るべきである。どんな大きなことも、全て自分一人でつくり始めるものだからである。
  • 自信を失うと、人々の信用を失う。信用を失うと、大切なものも全てなくなってしまう。 
  • 上の者にも、下の者にも厚く信頼されるならば、この世でできない事など無い。
  • 人は天から与えられた、体の大きさ、寿命の長さ、力の強弱、心の立派さなどはみんな同じようなものである。しかし心の立派さは学問によって変えることができる。 
  • 広く学び、深く考え、誠実に実行する。これを人が一回行うならば、自分は百回行う。これを人が十回行えば、自分は千回行う。こうして怠けずに努力すれば、少しづつでも必ず非凡の域に必ず近づくことができる。
  • 私欲はあってはいけない。しかし公欲はなければならない。公欲がなければ、人を思いやることができない。私欲があれば、思いやりを持って物を譲ることができない。
  • 賞と罰は世の中の流れに応じて軽くしたり重くしたりするのが良い。しかしその割合は7割は賞で、3割は罰がよいであろう。
  • 教育は一家だけの問題ではない。これは公の問題である。いや、天のためにする大仕事である。
  • 人が事を成すには出来る限りのことをして、あとは天に任せるのが良い。どんなに頑張っても無駄だ、結果は天しだいだと考えれば、何事も上手くいかない。出来る限りのことはやり尽くした、あとは天に任せるだけだと考えれば、何事も必ず上手くいく。 
  • 自分を正して心を磨くことは、体への良薬となる。心を磨けば、体が健康になるからである。美味しい食べ物は心への毒となる。心を失えば、体が衰えて病気になるのである。 
  • 春風のような優しさで人に接し、冬の霜のような厳しい態度で自分を正すのがよい。
  • 人間の一生で出会うところは険しいところや平坦なところ、ゆっくり流れるところや急激に流れるところがある。これは自然なことなので、逃れることはできない。だからこれを楽しんでしまえばよいのである。逃げたり避けたりしてはならない。 
  • 大難事に出会ったときには、焦って決める必要はない。一晩枕元で半分考え、そのまま寝て、朝起きて心が澄んでいるときにもう一度考えれば、必ず光明が見えてくる。そうすれば必ず解決に向かうものである。
  • 知識は行動を司るものである。行動は知識から流れ出たものである。これらは二つで一つのものであり、一つで別々のものでもある。 
  • 虚弱な人はいつも滋養の薬を飲んでいる。これはすぐに効き目はないが、長い間飲み続ければ効き目が現れてくる。これは心を高める学問も同じである。
  • 子供を教育するには、愛情に溺れてわがままにさせてはいけない。善行ができないことを責めて、愛情を傷つけてはいけない。
  • 冗談はもともと本当の話ではない。しかし心に潜んでいることは必ず、その冗談の中に現れてきて、隠すことができないものだ。 
  • 人が立派かどうかを論じる場合は必ずしも細かい行いを問うべきではない。行いが人としての正しさに従っているかどうかを見ればよい。そうしなければ世の中に立派な人がいなくなる。 
  • 若い人には時間がたくさんある。もし今日学ばなくてもそれを補う時間が残っている。しかし年老いてからは補うべき時間が残っていない。だから今日学ばなくても、時間がたっぷりあるなどと思ってはいけない。 
  • 人を見るときには長所を見るのが良い。短所を見ると、自分は相手よりも勝っていると思い、努力をしなくなるから自分のためにならない。逆に長所を見れば相手は自分よりも勝っていると思い、努力するので自分のためになる。 
  • 恩を受けたらそれに報いるのは言うまでもないが、恨みを買ったら、その原因を考えて、自らを反省すべきである。 
  • 決断は正義感から来ることもあれば、知識から来ることもある、勇気から来ることもある。正義感と知識を合わせてくるものもあるが、これはいい決断である。勇気だけからの決断は危うい。
  • 自分の言葉は自分で聞いてみるのがいい。自分の行動は自分の目で見てみるのがいい。そうして心に恥じるところがなければ、人も必ず従うであろう。
  • 心は今のことに傾けないといけない。未来のことは分からないので待ち受けることができない。過去のことは変わらないので、追いかけることはできないからだ。
  • 富豪を羨んではいけない。今の富豪が将来、貧乏になってしまうかもしれないからである。貧しい者を馬鹿にしてはいけない。今の貧しいものが将来富豪になるかもしれないからである。貧富は天が定めるものなので、人はただ一生懸命努めればよい。 
  • 傲慢に人を見下したり、軽視してはいけない。また人を馬鹿にしたり、からかったりしてはいけない。人を馬鹿にすると結局は自分に返ってくるからである。
  • 薬は苦いものの方がよく効く。人も同じで、艱難辛苦を経験すると考えが細部までよく行き届くようになり、何事も上手くいくようになる。
  • 父の道は厳しさの中に、慈愛がななければならない。母の道は慈愛の中に、厳しさがなければならない。 
  • 人の才能には、大小や鋭鈍がある。才能が豊富な人はもちろん用いるべきである。しかし日常の小さいことは才能のあまりない人の方がかえって役に立つものである。才能の豊富な人は小さなことを軽視するからである。人はみんな才能があり、役に立たない人などいないのだ。 
  • 生は死の始まりであり、死は生の終わりである。生まれなければ死ぬことはないし、死ななければ生まれることもない。生はもちろん生であるが、死もまた生なのである。 
  • 私欲を抑えにくいのは、志が立っていないからである。志が立てば、火の中に雪を置くようなもので、私欲はたちまちに消え去ってしまう。 
  • 困って思い悩むことで本当の知恵が働きだすが、何の不自由のない生活は考える力が弱まってしまう。これは苦いものが薬となり、甘いものが毒となるようなものである。
  • 自分の健康を大事にするものは、常に予防を大事にするものである。自分の心を磨くものは、常に私欲が起こる前にその芽を摘み取ってしまうものである。 
  • 暑さ寒さと、暦が少しでもずれると、人は天候不順と文句を言う。そうであれば自分の言葉と行動が食い違ったら自らを省みなければならない。 
  • 人は心に楽しみがなければならない。楽しみとは心の中にあるもので、外にあるものではない。
  • 利益を人に譲り、損害を自ら引き受けるのは譲である。良いことを人に推し、悪いことを自ら引き受けるのは謙である。譲の反対は争であり、謙の反対は驕である。これらは身を滅ぼす元となるので戒めなければならない。 
  • 登山では上りは倒れないが、下りでつまずくことが多い。失敗というのは順調な時の油断に生じる。
  • 怠けて過ごしていると日の短い冬でもなんと長いことか。熱中していると、日の長い夏でもなんと短いことか。長い短いは自分の心が決めるものであって、日の長さにあるものではない。
  • 物があり余っている。これを富という。富を欲しがる心は貧である。物が足りないのは、貧である。貧に満足している心は富である。貧富は心にあるものであって、物にあるものではない。 
  • 自分のことを褒めるものがいれば、それは友である。努力して褒められたことに見合う力をつけなければならない。自分のことをけなすものがいれば、それは師である。慎んでその教えに従うべきである。 
  • 人から中傷されようが誉められようが、得しようと損しようと、そんなものは人生の雲や霧のようなものである。このようなもので心を暗くし、道を迷ってはつまらない。この雲や霧を払いのければ、よく晴れた青空のように人生は明るいものとなる。 
  • 自分が恩を人に施した場合は、忘れてしまうのがよい。逆に、自分が恩を受けた場合は、決して忘れてはいけない。 
  • 口先だけで人を諭そうとしても、人は心から従うことはない。自ら実践し率先すれば人は従うようになる。
  • 何事も、まず自分が感動して、人を感動させることができる。
  • なによりも自分で自分に嘘をつかず、至誠を尽くす。これを天に仕えるという。 
  • 人は才能があっても度量がなければ、人を包容することはできない。反対に度量があっても才能がなければ、事を成すことはできない。才能と度量と二つを兼ね備えることができないとしたら、才能を捨てて度量のある人物になるのがよい。
  • 戦いにおいては武器に依存してはいけない。人の和を頼りにすべきである。また、軍勢が多いか少ないかは問題ではない。軍律が保たれているかどうかに注意しなければならない。 
  • 偽りの言葉は、どんな偉い人から出たものでも、人を感動させることはできない。真実の言葉は、たとえ農夫や木こりなどの話でも、人を感動させる。 
  • 時々は、次のように心に問うてみるがよい。「心を欺くようなことはしていないか。自分の影に恥じるようなことはしていないか。そして自分の心が安らかで楽しんでいるかどうか」と。 このように反省する心を持っていれば、心は決して放漫にはならない。
  • 部下が一生懸命仕事に努めていたら、上の者はよく励まし誉めてやることだ。ときには妥当を欠く場合があっても、しばらくは様子をながめていて、機会を見て徐々に諭してやるがよい。頭ごなしに押さえつけてはいけない。 
  • 子弟のそばにいて助け導くのは教育の常道である。子弟が横道に入ろうとするのを戒め、諭すのは時を得た教えである。何事も教え導く人が先に立って実行して見せ、子弟にやらせるのが教育の基本である。
  • 両親が苦労に苦労を重ねて、自分を育ててくれたことを思い返してみるならば、わが身を愛し、決して軽はずみな考えなど浮かんでこないだろう。
  • 人から信用されることは難しい。いくら上手いことを言っても、人はその言葉を信用しないで、その人の行動を信じるからだ。いや、本当は行動を信じるのではなく、その人の心のあり方を信じるのである。 
  • 農作物は自然に生じるが、人が鋤をもって助けなければよく成熟しない。これと同様に、人間も自然に生まれるものだが、世話をしてやらないと、立派な人間になることは難しい。ちょうど農作物を育成するのと似ている。 
  • 過去の間違いを後悔するより、現在のことを改めるのがよい。 
  • 利益は天下の公共物で、得ることが悪いわけではない。しかし、利益を一人で独占してはいけない。 
  • 金持ちとか身分が高いとかは春や夏のようなもので人の心を怠けさせる。貧乏であるとか身分が低いとかは秋や冬のようなもので人の心を引き締める。裕福さは志を弱め、貧しさは志をかたくさせる。
  • 立派な人は事が起こらないうちに先を見て事を処理する。 
  • 立派な人は他人を頼らず、独立して自信を持って行動することを尊ぶ。権力や金銭に従ってしまってはいけない。
  • 他人の言うことは、一度聞き入れてから善し悪しを判断するのがよい。始めから断ってはいけない。 
  • わざわいは下からでなく、全て上から起きる。 
  • 少年の時に学べば、壮年になってから、何事か成すことが出来る。壮年の時に学べば、老年になっても衰えることはない。老年の時に学べば、死んでも朽ちることはない。 
  • 学問は自分の心で悟るのがよい。本を読むだけではなく、実社会の事柄から学ぶのがよい。
  • 学問をすすめるには、自ら発憤することが大事である。昔の聖人も自分と同じ人間ではないかと発憤するのがよい。 
  • 心に少しでも悪念が生じたときには、すぐに立派な人の言葉を心に刺し込むのがよい。時機を逃し悪念が増してからでは、その言葉の効果は少ないものである。
  • 暗い夜道を行く場合は、明かりを一つもって行くのがよい。どんなに暗くても心配してはいけない。ただその明かりを頼りに進んで行けばよいのだ。
  • 全ての生き物は必ず欲がある。立派な人はその欲を善いことに使う。
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