9.国家の盛衰や貧富は分度を守るか守らないかによる。
分度を守れば富み栄え、分度を守らなければ貧しく衰える。
国家が貧しく衰えると、借金と徴税とで国の費用の不足分を補うようになる。
これは末世によくあることである。
農民が米がほしいならば米の種をまき、麦がほしいならば麦の種をまき、一所懸命耕して、みのりを待って収穫する。
もし冬に麦の種をまくこともせずに、夏になって収穫しようとしたり、夏に米の種をまかずに、秋になって収穫しようとしても、できることではない。
夏に麦を収穫できなかったら、秋に向けて米の種をまくのが良い。
秋に米を収穫できなかったら、次の夏に向けて麦の種をまくのがよい。
そうすれば夏には麦、秋には米を必ず収穫することができる。
国の君主が分度を守らずに国が貧しく衰えたときに、徴税を強めて財政を立て直そうとするのは、種をまかずに収穫しようとすのと同じである。どうして立て直すことができるだろうか。
そのようなときは分度を守り、貧民を恵んで、荒れ地を開くのが良い。
荒れ地を開けば田畑がととのう。田畑が整えば税収がまして国が富み栄える。
衰える国の君主は、そこまで考えが及ばない。民を恵み・荒地を開くことを回り道だと思い、徴税を強めることを近道だと考える。
これは種をまかずに収穫しようとするどころではない。
お米を炊くときになってお米を買いに行くようなものだ。
お米は米屋でできるものではない。農民が一生懸命働いたからできるのである。
税収は自然に増えるものではない。貧民を恵み、荒地を開いたあとに増えるものである。
種をまかずして収穫しようとしたり、お米を炊こうとするときにお米を買たりするのと同じように、これは国の君主の道ではないのである。
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