29.ある人が私の道を遠回りだと言って、私のことを遠回りな人だと呼んだ。
私は笑っていった。
「我が国は大昔から存在していて、私の道はこれからずっと変わらない。
大昔からある国においてずっと変わらない道を行う。これを自分一代に比べ、遠回りと言うべきではない。
今日、道が行われなくても、気にする必要はない。
それは天照大御神以来行われている道であって、国を復興し民を安定させるにはこの方法しかないからである。
それから人生60年として、今日だけのために生活をし、今の世をおもうだけで後の人々の世まで考える者がいない。
しかし、朝飯を食べればすぐに昼となり、昼食を炊けば午後となり、今日はたちまち明日となり、今年はたちまち来年となり、父祖の世はたちまち子孫の世となり、百年もまた一瞬の間のことである。
私の開墾法は一両の金をもって荒地一段を開墾し、できる米一石のうち半分を食べ、半分を将来に譲ることで、開墾が毎年つづいていく。
それが60年たてば、開墾した田は24億5千48万2千253町にもなる。
行われなければ仕方がないが、もしこれを行ったならば、わずか一代に比べ、遠回りとするべきではない。
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